日本の居酒屋はじめ

日本に居酒屋が誕生したのは江戸時代の寛延年間(1748~51年)なのだそうです。

これは、市中に現在の居酒屋のような形態の店が見られるようになったのが18世紀半ばということですが、日本で一番最初の居酒屋らしきものが文献に現れるのは、なんと奈良時代平城京です。

 

日本の勅撰史書のひとつ「続日本紀」に761年(天平宝字5年)の事件が記載されています。

この年3月に葦原王という皇族が殺人を犯して皇籍を剥奪の上流罪にされたというものですが、その殺人事件が起こった現場が「酒肆」だったのです。

葦原王は天性凶悪な人物でしたが、「酒肆」で知人と喜んで酒を飲んでいたところ突然怒りだし、あろうことか相手を殺してその場で膾にしてしまった、という凄惨な事件です。そのまま逮捕されて本来死罪になるところ、皇族の身分であったためそれを免れ皇族の身分を剥奪(臣籍降下)の上、家族もろとも種子島に流された、というのが事件の顛末です。

皇族の身分にありながらこんな事件を起こしたことによってのみ後世に名を残すことになるというのもアレですが、この出来事があった故に平城京に「酒肆」があったことが記録されたことになります。続日本紀の編纂者もこれは意図していなかったと思いますが。

 

さて、「肆」は「店」という意味。これに酒がついて「酒肆」となると、「酒を売る店。また、酒を飲ませる店。さかや。」を指します(大辞泉)。

 

「肆」という字は今ではあまり使われませんが、「酒肆」のほかに「書肆」なども用いられ、「居酒屋」や「本屋」の屋号に用いられているのはたまに見かけますね。

もともと中国で酒の飲ませる店を「酒肆」と言っていたようで、李白漢詩にも出てきます。これが現在の日本で見られるような「居酒屋」のような店を指しているのかどうか定かではありませんが、「居酒屋」と訳されていることが多いように思います。

 

続日本紀に「酒肆」の記述が見えるのは奈良時代も後期に移ろうかという頃ですが、その後、「居酒屋」らしきものは文献に現れなくなるようです。

平城京にあったのだから、その後の平安京にもあったのだろうと思いたいところですが、これはわからないというほかありません。

たとえ京都にも「酒肆」があったにせよ、辺りが暗くなってきてからぼちぼち営業を始めて、宮人が仕事帰りにいっぱい、という塩梅ではなかったと思いますけど。